上のエントリを読んでマジカヨとか思ったのと、このブログの中でいくつか興味を惹かれるエントリがあったのでリンク。
特に新しいことを言っている訳ではないんですが、今の心境に響いたので。
とブログを読んでいたら2005年が明けましたとさ...。つくばではなんか花火が上がっている音がしていました。
暗澹たる気分で新年になったわけですが、なんとか...ってずっとこんなんばっか。もうイヤ、くそぅぅ...
明けましておめでとうとかHappy New Yearとかうるさいんじゃーぼけー
確かにこういう事は考えて、自分の就活の感想は別にまとめてます。とはいっても内定後は名前出しているんで、人事の人は読んだかもねー。
とりあえず試験内容をBlogで書くのはルール違反だろう。っていうか面接なんて「自己紹介」と「志望動機」の二点がまとまっていれば無問題だし。
というわけで、とりあえず実験用のプログラムを書いています。ずーーーーーーーーっと何をするかをコネくりまわしていたので研究でプログラムを全然書いていなかったので、実は自分はプログラミングが苦手で逃げてるんじゃないかとかさえ思う時がありました。そういうときは大抵趣味のプログラミングをやって発散させていました。実は自分は全然プログラムが書けない奴なんじゃないかとか永遠にプログラミングが終わらないとかいうことを本気で考えてしまいます。
というわけで半年ぶりにJavaJavaしています、上のような病的な心配はどこへやら卒論で書いたいいかげんな内容のプログラムさえ体は覚えていました。GUI部品をぺチペチ張りつけていくだけで楽しい、集中して書ける。やっぱりプログラミングは好きなのかと思った瞬間だった。
「やってやれない事はない。やらずに出来たら超ラッキー!やるとなったらやるしかない!ない!ない!!」(by そら)
カレイドのラジオ聞いてから耳に残ったセリフなんですが、まぁとりあえずダメで元々の気持ちで頑張っていこう
とか言いながら寝たらテンション下がってるんだろうなぁ...(泣。寝る前に、起きてからとりかかれる事をリストアップすると良いかも。
失うものは何も無いし、当たって砕けよう(何
日本のアルファブロガーを探せ2004(ARTIFACT 人工事実)より、前にリンクを張った気がしないでもないけど、関連するリンクがあるので記録。
い、痛い!まじ痛い!夕方ぐらいに伸びをしたらいきなり左肩をつった...。首の後ろ側がむちゃくちゃ痛い...、首を動かすだけで激痛が走る。おかげで色々まともに手が着かないって(泣
っていうか、じっとしているだけでも痛い、手を動かせばさらに痛む、さらにさらに深呼吸をするだけで響く...。土畜生。
Perl使う人はPerler、Ruby使う人はRubyist、Python使う人はPythonian、さてどれが一番呼称として格好良いのかしら(何
Pythonianと言うとモンティパイソンの方もあるのでPythonistと言う方が一般的なのかな?でもPythonistだとRubyistと被るしなぁ。
タブブラウザならぬ、タグブラウザってどうでしょう。いや音が似てるから何か面白いことできないかなぁと思っただけなんですが。
webブラウジングでの二つの事例について考えます。まず一つ目、webサイトを巡回しているとき、記事の中のリンクをとりあえずタブをバックグラウンドに開いておき、後で見るため貯めていきます。この時、元のwebサイトの記事を一通り見終った後、いざタブを見ようとした時、そのタブで開いたサイトと元見ていたサイトとの関係(どんな記事でどんな文脈でリンクされていたか)を忘れてしまう事が多々あります。
そういう時、タブを開いた時リンク元とどういう関係にあったのかという情報が埋め込まれていると元記事を確認するという事がなくなるのではないでしょうか。この実現方法は二つ考えられます。一つはリンク先を開いた時に、リンク元の関連記事をリンク元の記事の先頭部分に埋め込むという方法。もう一つは、リンク元の記事を読んでいるときにリンク先の該当部分だけ切り出してサブウィンドウで確認できるようにする。このような方法が考えられます。
二つ目の事例は、情報検索を行う際に、昔調べたページと強く関係のあるページが引っかかった時、もしくはリンクを辿って以前見たサイトと強く関係のあるサイトが見付かった時、昔調べた時の記録を探す事があります(技術系の連載記事、特にdeveloperWorksについていえます、自分は)。
そういう時、以前読んだ、リンクしたという事を見付けた・たどり着いた先のページに埋め込んでくれると、おもしろいんじゃないかと思いました。関係するページだけじゃなく、以前調べたキーワードへのリンクを埋め込むとかもおもしろいかもしれません(はてなのキーワードのように)。
これら二つの事例を解決する為に、webページにリンクや、記事を埋め込むという手法を説明しましたが、これらを実現するために、一つ目の事例ではリンク元とリンク先の関係をつなげる"タグ"を埋め込み、二つ目の事例では、履歴とwebページの関係をつなげるために"タグ"を埋め込みます。なので、このような機能を持ったブラウザをタグブラウザと呼びます。
これはそれほど難しいことではなりません、というのも一つ目の事例はRDFを使えば簡単に作れてしまうからです。リンク先にリンク元の情報を埋め込むなら関係する記事のRSSを持ってきてつっこめば終わり、リンク元にリンク先の記事を表示させるなら、リンク先のRSSを持ってくれば終わり。どちらも表示に関係するHTMLやCSSからは独立しているので実装は簡単だと思います。
とか書いててなんか既にありそうな気もすっげぇするんですが面倒なんで調べません。首回りの激痛に苛まれている時に思い付いたしょうもない話でした。
正直、駄目そうなんですが、まぁそれは置いておいて。前向きになるって大切だったんだなぁと実感。先週の暗澹たる気持ちはどこへやら、状況は例え悪くなろうとも、諦めない、前向きになる気持ちを持つだけで世界が変わった。
ほんの少し、ほんとにほんの少し、気の持ち方を変えるだけでよかったのか。ま、結果はうまくいかなかったけどね。それはこの際いいよ、先週はその結果に恐怖するだけだったんだから。
今日のワールドビジネスサテライトで出てきた、シロク社のカメラ式タッチパネルすげぇ!ステレオカメラを使ってポインティングデバイスとして使うっていうアイデアはよくありそうなんですが、精度とレスポンスが早い!欲しい!何よりUSBカメラモジュールがかなりコンパクト、これだったら多くのディスプレイに利用できる。さぁ次は3次元を認識するカメラかもーん。
って、このシロクって会社、つくばじゃん。
これを読んでいる研究室の皆さん、ほんとごめんなさい。もうまじでごめんなさい、申し訳ないと言っても言い切れないぐらい、先生や周りの人に迷惑を掛けてしまった。というより、多分この先もそうなってしまうのか...(泣。
今後は、心を入れ換えて頑張ります。マジ頑張ります。なのでほんとごめんなさい。
かなり読み憎い文章。何度も修正すると思う。
辞めたい辞めたい言ってるのは結局、楽をしたい、この苦しみから抜け出したい、その安易な方法として退学をしたいと言っていたんだと、今日はっきり自覚した。もう、この上ないくらい、はっきりと。
今まで、研究室行きたくないという時、自分がどういう状態かわからなかったが、年明けてからというもの、自分の浮沈のテンションの差が自分ではっきりわかってきた。
と、いうより、今までシステムを作らずに安穏としていた原因も、どうやら関係していた模様。なんていうか、努力できることが才能って言葉の意味がよくわかった。やる気が全く無い時、そんなときでもやる気を作れる人、そういう人が努力できる才能を持った人だと。自分はこれができてなかった。ちっぽけなやる気の大きさを越える負荷がかかるとすぐにこれはダメだとさじを投げてしまう。これを繰り返す。自分は、研究に対して、何とか大きなやる気を見つけるためにさ迷っていたようだ。だからいつもシステムを作る前で、しぼんだやる気は負荷に耐えられなくなっていた。さらに、利用する理論やスタンスについて、十分に検討することを避け、とりあえず上げた形だけでよしとしてしまっていた。やる気が小さいからできるものも小さい。そして壁を越えられない。越えられないというよりは越えようとしないか。
研究を進められる人と自分の決定的な違いはこの点だと実感した。今まで研究に関する能力的な差があるんじゃないかとかすごい下世話な事を正直本気で考えてた。けども、それもあるかもしれないが、決定的なのは、やる気をつくり出せる、努力しようとできるモチベーションをどう作るかという点だった。
他の人の論文を読んでいて、動機と研究内容がはっきり繋がったやる気に満ちた研究を目にする度に、「自分の研究は何て○○なんだろう」としょぼくれてきた、「こんなんじゃやる気なんてデネーヨ」とふれくされた。しかし、研究の目的にやる気を見出せないなら、他に求めるしかない、でなければいつまでたっても研究はできない。自分はこの割り切りもはっきりできていなかったようだ。「辛い事を越えることで成長するできる」それだけでも十分だ。
そして、最大の問題だったのは、就職活動があまりにもうまくいきすぎた事が自分自身を増長させた。「IT系だったらどうとでもなるじゃん」と、この奢りが、辞めるという楽への選択肢を一層甘美なものとした。そら楽したいだけやわな...。
「今の頑張りは必ず報われる」そう信じられるから頑張れる。必ずできる、なんとかなると心の底から思うからこそ、できる、なんとかなるんだと思った。
これは、反省のために自分のアフォさ具合を記録しておくためのものなので、頭の中をそのまま書いている、なのでかなり読み憎い。さらにいえば電波入ってる。
所属する大学院では、M1の2月の終わりに中間発表という形で研究の概要を提出するが、この際自分は、当日、第一稿を先生に渡すという愚挙をしていた。その時、「修論でやったら許さんからな」と言われた。
そして、修論でもやってしまった。周りは余裕を持って第一稿を先生に渡してチェックしてもらっている中、自分はただうんうん唸っていた。そして、提出前日に先生に渡すことができず(というより全くできていなかった)、結局また当日かよ...という気分になった。
この時、自分はなんとか朝一でせめて渡そうと前向きに頑張るのではなく(とりあえず書いてはいた)、「明日先生に何て言おう・言われるやろう」、「このまま概要提出できなかったらどうしよう」とかそんなことが頭を駆け巡っていた。おかげで、原稿そっちのけで、「こう言おう」とか考えたり、既卒の就活について調べたり(!)、そんな事やりながら夜が明けていった。
そして、先生が朝やってきたわけだが、まだ「はじめに」すら書けていない。さて、先生になんて言おう、なんて言われるだろう、怒られたらやだなぁとかそんなことで頭が一杯になり、中々先生に相談に行けない(というより行かないかもね)。そんな中、周りはちゃんと概要を提出していっている。自分は悶々と同じ事を考えては、席を立ち上がり、トイレに行き、先生の部屋の前に立っては切り返して研究室に戻り...これを何児間も繰り返していた。もう頭の中は、なんて言おう、何て言われるだろう、そんな事ばっかり。
そしてぐるぐるしきった頭はあることに気がついた、「こんなことしてる時間でゼミのレジュメみたいなレベルでもええから原稿でっちあげた方がよかったんちゃうか」...、よくよく考えないでも至極全うな話である、朝一で先生に出そう、と決めてからこの考えに至るまで、ゆうに17時間が経過していた。
その次、浮かんだ考えは、「先生ならつべこべ言わずにとっとと書けって言うやろ」 さて、「修論でやったら許さんから」という一年前の発言で支配されていた頭はまさにパラダイムシフトを起こした。そしてシフトした頭は、こう伝える「つべこべ言わずにとっとと先生のとこ行きやがれ」。というわけで、先生のとこへ行き、そのまんま「つべこべ言わずに書け」
その後はごにょごにょと言うわけで、概要提出は形的には間に合った。ほんと先生ゴメンナサイ、研究室の皆さんゴメンナサイ。もう、ほんっっっっっとにすいません。提出後、自分のあまりの間抜けさ加減のおかげで研究室に帰るのが気まずい(自意識過剰)ので、ジュースを飲みながら一服しましたとさ。
さて、この時注意すべきは、昨日の日記でコトバのチカラのエントリを書いていたのは、「朝一で出そう、でも先生に何て言おう」と考えていた頭だったということ。つまり、「前向きで頑張ることはよかった」と言いながら、実は完全に白旗を上げていたということになる。とどのつまり、何もわかっちゃいなかった。
この時当然、”書き上げる”気は既に無かったと思う。では、この時、”書こう”というやる気の元になっていたものは何か、それはこの現状になってさえ、自分の(ぶっちゃけ既存の研究と全く差の見出せない)研究の価値だった。当然、大した価値も(自分自身でさえ)見出せないのだからやる気なんて無い。つまり、書く気力自体無かった。けれど、寝るわけにもいかない、なんとかしなくてはと考えるから、起きてはいる、でも書く気は無いから、思考はうまくいかなかった時の事を考え出していた。
では、そんな頭でなぜパラダイムシフトが起きたのか。これは、丁度同じ日、博士論文の提出日だった為、必死に論文の手直しをしている先輩方を見ていた事がきっかけだった。きっかけといっても大層な話じゃない、前に先輩の一人が、「やる気のある無しは関係ない、やるしかないと思うことにしてる」という話をしているのを思い出したからだった。つまり、研究そのものにやる気の根源を求めていなかったということからパラダイムシフトは起きた。(何かパラダイムシフトなんて大げさに言うのは恥ずかしいなぁ)
研究そのものにやる気を求めるのでは無く、その先にあるものを目指しているからやる気がでてくるのではないだろうかと考えた。上のエントリにある、「今の頑張りは必ず報われる」というのと同じ考えだと思う。
こうして概要を書く事の先に、もしくは書く事自体にやる気を見出すことで、狭まった視界は広げ、無事シフトできた。のではないかと思う。
修論の先にある「修了」の二文字を渇望し、絶対できる!必ず報われる!と前向きに頑張る。それだけで十分だ。
もちろん、研究の価値を考えることは重要だが、バランスの問題だと思う。研究の背景として納得いくものができれば問題ないだろう。
JavaとXMLの関係の話は、以前@ITの記事に対する反応で書かれていたと思う。昔の日記でリンクを貼ったはずだけど、今は調べる気があまり無い。
Pythonにおける静的型の話は、静的型の変数が必要なほど大きなプログラムを書いていないのでなんとも言えない。
Macromediaから公式にでているわけではないが、以下のサイトのを利用すればいけそうな気配。
上のメイヴちゃんとも関係しますが、切込隊長のブログより
単に、擬人化潮流という事が言われていたらしいというだけの話。
それとmagazine elfics vol.2を購入。elfics vol.2は出版されたのは一ヶ月前なんですが、結局西又氏のインタビュー読みたさに購入、安かったしね。でもそれ以外の記事は見るとこないなぁ。
嘘つき大統領はポールクルーグマンの本を読んだ事が無かったので、購入。でもこの本を買うなら、前著の嘘つき大統領のデタラメ経済も読まないとなぁと思った。でもブッシュやらアメリカ経済の話は、今の自分にとってそこまで金かけるようなネタでも無いなぁと思ったので多分買わない。
最近ラノベ読本をよく見かけるんで、何か買おうかなぁと思ったけど、あまり読みたいと思うものも無かったので買わず。手に取ったライトノベル完全読本vol.2で、天広直人氏が挿絵やらシスプリに関するインタビューが載っていたけど、絵を描くヒントにはなりそうにないのでこれも見送り。
研究室で使ってる自作PC、マザーボードがヤバ気。CPU付近のコンデンサのトップが膨らみだしてる、中には漏れだしてんじゃね?ってぐらいの状態のがある。俗に言う、妊娠した状態。
後二週間持つかしら...。
RinRin王国経由。「“才能>努力”の少年漫画が多過ぎ」っていうネタと絡んだ話。
BRAINSで感じた天才がさらっと問題を解いたり、すごい発明をしてしまったような展開に対する違和感と関係していると思ったのでリンク。
BRAINSのような伝記漫画を考える上で、こういう努力とか苦労を意識して表現するようにするとドラマとしてちゃんと伝わるかなぁと思った。というのは、色々考えたり、失敗したりした過程こそ新しい発見、発明の背景になると思っているからだ。BRAINSではいきなりコンセプトとなる考えが閃いたり、初めから持っていたような表現がされている。しかし、このようなその考えに至る過程が欠落していると、とたんにドラマ性を失うんじゃないかと思う。
もちろん、本当にそうだっかどうかはわからない、本当に初めから考えを持っていたかもしれない。けれど、それではそれを読んでいる人が感情移入できないだろう。
キーワード指定した言葉をe-wordやwikipediaにリンクさせるプラグインとか作ったらおもしろいかなぁと思った。
後、前にも書いた気がするけど、自分へのメモなので気にせず。日単位で日記を隠すことはできるけど、項目別で隠すことはできないのか、そういうプラグインはないのかなぁ。
作るのは簡単だろうけど、今はやんないYO!!
研究室で読んだ漫画。おもしろかったので自分でも買おうと思った。この中で、主人公の彼氏が、現場監督から営業に異動になる際、今の仕事がやりたいことかどうか以前に、全力を出していなかった事を後悔する場面があった。
この話を読んで、やっぱり自分に重ねてしまった。年末あれだけウジウジやっていたこと、それ以前も結局現実逃避ばっかりやっていたことを後悔している。というわけで、これ以上後悔しない為にも、頑張ろうと思った。
前日のエントリに引き続き、XMLネタ。
XMLが型を持たない事によってもたらされる問題について。コメント欄にある、XML is not S-Expressionsも読んでみたい。
嫌な事でも頑張る時間と、逃げようとウダウダしてる時間、どうせ同じ様に過ぎるなら、頑張ってる方が有意義なんじゃね。みたいな事を田中康夫がTVで言ってたなぁ。
0x0a - 今日も読書より。漫画を描く技術に関する話というより、漫画の持つ記号論に関する話のようだ。実践的な話も載っているようなので、買ってみたいなぁ。
前に書いた”タグブラウザ”とあわせて、ここで書かれている機能が実装できたらおもしろいなぁと思った。
今の心理状態に対してドンピシャなTrackBackがあった。
引き篭っていた時も含めて、今まで"反省"って事をしていなかったなぁと思った。今まで反省すべき事が起きる度に、自分がやってきたことは「あぁやっぱり自分ってダメなんだ」と思うことだけだった。その上で、「次はもっと早くとりかかろう」とか「こうやってまとめれば良かった」とてきとーに考えて、また同じ事を繰り返す。具体的に何か行動を起こすんじゃなくて、自分を納得させるためにてきとーに考えた事を反省として、自分に納得させていた。そして、以下の道を辿ってスパイラルに落ちていく。
まず、反省ができていないので改善をしないから、同じ失敗を繰り返す。そして、またイジけて具体的な改善をしない。けれど、本人は反省した気になっているから、反省していない風には振る舞わないし、「自分は反省したのに他の人はわかってない」みたいな事を考える。
さらに、反省したつもりから、てきとーな改善をしようとして失敗する。すると、自分自身が根本的に間違っていると考える。そして、周りからも「反省ができない奴」のレッテルを貼られたと考える。そうすると、変なプライドやら、そこから生まれた世間体もあいまって、他人に助けを求める事を無意識に拒否する(というより避けるような心理になる)。
研究室の人が見ている事をわかってて、こういう事が書けるくせに、話すのが恐いってのは、皆はこんなことで迷わないで研究ができてるんだろうなぁと考えるからで、他の人はちゃんと研究が進んでいるように見えるのもそういう気持ちを加速させている。あぁ、後、日記だと見ない事を選択できるけど(特にずっと欝傾向だったし)、相談だと否応なくその人に負荷をかけてしまうと考えているからだろう。
そして、「他の人にこんな気分の良くない話をするのは気がひける」という後向きな気持ちが他の人との心の壁を作る。心の壁を作る前提は、プライドもあるけれど、今までそうしてこなかった(そうする必要が無かった、自分からそうすることは無かった、またはそれに関係する苦い経験がある)という自分の性格だ。
こうやってして、出口の無いスパイラルを引き起してきた。
反省していないことに気がついていないから、スパイラルの原因がわからない。わからないから"なんとなく"引き篭っていく。
スパイラルを抜けるのは他の人に相談さえすれば抜けられたはずだ。「他の人にこんな気分の良くない話をするのは気がひける」というのなら、研究室の人の研究に対するスタンスを聞いたり、テンションが下がった時どうしているか、とか質問の仕方を変えればよかっただけだった。
思い返すと、相談やそれに準じる事を全くできていなかったわけじゃなかった。考えがドツボにはまった時、先生と話をしてそうやって解決してきたし、軽く先輩に聞くとかはやっていた。しかし、これは本当に相談するしか道がなかったという必要にかられたからできたことだった。普段は結局、普段の姿勢を改善しなかった為、そういったアドバイスを生かす事ができていなかった。
とはいえ、このネタで欝ってるヒマは当面無い。今は、今やるべきことをやろう。まぁ、今はこんなエントリを書くべき時じゃないじゃんってのもあるけどさ。
ほとんど、ビル・ジョイの行き先が書きたかっただけ。