今の心理状態に対してドンピシャなTrackBackがあった。
引き篭っていた時も含めて、今まで"反省"って事をしていなかったなぁと思った。今まで反省すべき事が起きる度に、自分がやってきたことは「あぁやっぱり自分ってダメなんだ」と思うことだけだった。その上で、「次はもっと早くとりかかろう」とか「こうやってまとめれば良かった」とてきとーに考えて、また同じ事を繰り返す。具体的に何か行動を起こすんじゃなくて、自分を納得させるためにてきとーに考えた事を反省として、自分に納得させていた。そして、以下の道を辿ってスパイラルに落ちていく。
まず、反省ができていないので改善をしないから、同じ失敗を繰り返す。そして、またイジけて具体的な改善をしない。けれど、本人は反省した気になっているから、反省していない風には振る舞わないし、「自分は反省したのに他の人はわかってない」みたいな事を考える。
さらに、反省したつもりから、てきとーな改善をしようとして失敗する。すると、自分自身が根本的に間違っていると考える。そして、周りからも「反省ができない奴」のレッテルを貼られたと考える。そうすると、変なプライドやら、そこから生まれた世間体もあいまって、他人に助けを求める事を無意識に拒否する(というより避けるような心理になる)。
研究室の人が見ている事をわかってて、こういう事が書けるくせに、話すのが恐いってのは、皆はこんなことで迷わないで研究ができてるんだろうなぁと考えるからで、他の人はちゃんと研究が進んでいるように見えるのもそういう気持ちを加速させている。あぁ、後、日記だと見ない事を選択できるけど(特にずっと欝傾向だったし)、相談だと否応なくその人に負荷をかけてしまうと考えているからだろう。
そして、「他の人にこんな気分の良くない話をするのは気がひける」という後向きな気持ちが他の人との心の壁を作る。心の壁を作る前提は、プライドもあるけれど、今までそうしてこなかった(そうする必要が無かった、自分からそうすることは無かった、またはそれに関係する苦い経験がある)という自分の性格だ。
こうやってして、出口の無いスパイラルを引き起してきた。
反省していないことに気がついていないから、スパイラルの原因がわからない。わからないから"なんとなく"引き篭っていく。
スパイラルを抜けるのは他の人に相談さえすれば抜けられたはずだ。「他の人にこんな気分の良くない話をするのは気がひける」というのなら、研究室の人の研究に対するスタンスを聞いたり、テンションが下がった時どうしているか、とか質問の仕方を変えればよかっただけだった。
思い返すと、相談やそれに準じる事を全くできていなかったわけじゃなかった。考えがドツボにはまった時、先生と話をしてそうやって解決してきたし、軽く先輩に聞くとかはやっていた。しかし、これは本当に相談するしか道がなかったという必要にかられたからできたことだった。普段は結局、普段の姿勢を改善しなかった為、そういったアドバイスを生かす事ができていなかった。
とはいえ、このネタで欝ってるヒマは当面無い。今は、今やるべきことをやろう。まぁ、今はこんなエントリを書くべき時じゃないじゃんってのもあるけどさ。
会社の windows PC では Xkeymacs を使っていたのですが、数字キーと記号のキーを逆に (1 を押すと !、shift+1 を押すと 1) しようと、キーバインドを変更しようと思ったんですが Xkeymacs だとできそうになかったので、他のツールを探していて、かつて挫折した窓使いの憂鬱へ。といっても本家は開発が終了していたので、ついでなのでユーザーモードで動作する Yet Another 窓使いの憂鬱を使ってみました。
窓使いの憂鬱の設定ファイルがそのまま使える、というわけではなくユーザーモードで動作するが故の制限があるので、control キーと caps lock の入れ替えはもうレジストリをいじって交換するなどして対応する必要がありました。
試行錯誤の結果作ったのが上のリンクの 109custom.mayu。Emacs キーバインドで、変換/無変換、半角全角のキーを変更という Xkeymacs でできていたことを設定した上で、元々やりたかった数字キーと記号キーの入れ替えを行いました。
また、Emacs キーバインドは Meadow や firefox ではネイティブに対応させるので、これらの場合は Emacs キーバインドだけは設定しないようにしています。
ただ、これを実現する為に同じ設定を二度書いているところがあって、これがイケてないのでどうにかしたいです。