これを読んでいる研究室の皆さん、ほんとごめんなさい。もうまじでごめんなさい、申し訳ないと言っても言い切れないぐらい、先生や周りの人に迷惑を掛けてしまった。というより、多分この先もそうなってしまうのか...(泣。
今後は、心を入れ換えて頑張ります。マジ頑張ります。なのでほんとごめんなさい。
かなり読み憎い文章。何度も修正すると思う。
辞めたい辞めたい言ってるのは結局、楽をしたい、この苦しみから抜け出したい、その安易な方法として退学をしたいと言っていたんだと、今日はっきり自覚した。もう、この上ないくらい、はっきりと。
今まで、研究室行きたくないという時、自分がどういう状態かわからなかったが、年明けてからというもの、自分の浮沈のテンションの差が自分ではっきりわかってきた。
と、いうより、今までシステムを作らずに安穏としていた原因も、どうやら関係していた模様。なんていうか、努力できることが才能って言葉の意味がよくわかった。やる気が全く無い時、そんなときでもやる気を作れる人、そういう人が努力できる才能を持った人だと。自分はこれができてなかった。ちっぽけなやる気の大きさを越える負荷がかかるとすぐにこれはダメだとさじを投げてしまう。これを繰り返す。自分は、研究に対して、何とか大きなやる気を見つけるためにさ迷っていたようだ。だからいつもシステムを作る前で、しぼんだやる気は負荷に耐えられなくなっていた。さらに、利用する理論やスタンスについて、十分に検討することを避け、とりあえず上げた形だけでよしとしてしまっていた。やる気が小さいからできるものも小さい。そして壁を越えられない。越えられないというよりは越えようとしないか。
研究を進められる人と自分の決定的な違いはこの点だと実感した。今まで研究に関する能力的な差があるんじゃないかとかすごい下世話な事を正直本気で考えてた。けども、それもあるかもしれないが、決定的なのは、やる気をつくり出せる、努力しようとできるモチベーションをどう作るかという点だった。
他の人の論文を読んでいて、動機と研究内容がはっきり繋がったやる気に満ちた研究を目にする度に、「自分の研究は何て○○なんだろう」としょぼくれてきた、「こんなんじゃやる気なんてデネーヨ」とふれくされた。しかし、研究の目的にやる気を見出せないなら、他に求めるしかない、でなければいつまでたっても研究はできない。自分はこの割り切りもはっきりできていなかったようだ。「辛い事を越えることで成長するできる」それだけでも十分だ。
そして、最大の問題だったのは、就職活動があまりにもうまくいきすぎた事が自分自身を増長させた。「IT系だったらどうとでもなるじゃん」と、この奢りが、辞めるという楽への選択肢を一層甘美なものとした。そら楽したいだけやわな...。
「今の頑張りは必ず報われる」そう信じられるから頑張れる。必ずできる、なんとかなると心の底から思うからこそ、できる、なんとかなるんだと思った。
これは、反省のために自分のアフォさ具合を記録しておくためのものなので、頭の中をそのまま書いている、なのでかなり読み憎い。さらにいえば電波入ってる。
所属する大学院では、M1の2月の終わりに中間発表という形で研究の概要を提出するが、この際自分は、当日、第一稿を先生に渡すという愚挙をしていた。その時、「修論でやったら許さんからな」と言われた。
そして、修論でもやってしまった。周りは余裕を持って第一稿を先生に渡してチェックしてもらっている中、自分はただうんうん唸っていた。そして、提出前日に先生に渡すことができず(というより全くできていなかった)、結局また当日かよ...という気分になった。
この時、自分はなんとか朝一でせめて渡そうと前向きに頑張るのではなく(とりあえず書いてはいた)、「明日先生に何て言おう・言われるやろう」、「このまま概要提出できなかったらどうしよう」とかそんなことが頭を駆け巡っていた。おかげで、原稿そっちのけで、「こう言おう」とか考えたり、既卒の就活について調べたり(!)、そんな事やりながら夜が明けていった。
そして、先生が朝やってきたわけだが、まだ「はじめに」すら書けていない。さて、先生になんて言おう、なんて言われるだろう、怒られたらやだなぁとかそんなことで頭が一杯になり、中々先生に相談に行けない(というより行かないかもね)。そんな中、周りはちゃんと概要を提出していっている。自分は悶々と同じ事を考えては、席を立ち上がり、トイレに行き、先生の部屋の前に立っては切り返して研究室に戻り...これを何児間も繰り返していた。もう頭の中は、なんて言おう、何て言われるだろう、そんな事ばっかり。
そしてぐるぐるしきった頭はあることに気がついた、「こんなことしてる時間でゼミのレジュメみたいなレベルでもええから原稿でっちあげた方がよかったんちゃうか」...、よくよく考えないでも至極全うな話である、朝一で先生に出そう、と決めてからこの考えに至るまで、ゆうに17時間が経過していた。
その次、浮かんだ考えは、「先生ならつべこべ言わずにとっとと書けって言うやろ」 さて、「修論でやったら許さんから」という一年前の発言で支配されていた頭はまさにパラダイムシフトを起こした。そしてシフトした頭は、こう伝える「つべこべ言わずにとっとと先生のとこ行きやがれ」。というわけで、先生のとこへ行き、そのまんま「つべこべ言わずに書け」
その後はごにょごにょと言うわけで、概要提出は形的には間に合った。ほんと先生ゴメンナサイ、研究室の皆さんゴメンナサイ。もう、ほんっっっっっとにすいません。提出後、自分のあまりの間抜けさ加減のおかげで研究室に帰るのが気まずい(自意識過剰)ので、ジュースを飲みながら一服しましたとさ。
さて、この時注意すべきは、昨日の日記でコトバのチカラのエントリを書いていたのは、「朝一で出そう、でも先生に何て言おう」と考えていた頭だったということ。つまり、「前向きで頑張ることはよかった」と言いながら、実は完全に白旗を上げていたということになる。とどのつまり、何もわかっちゃいなかった。
この時当然、”書き上げる”気は既に無かったと思う。では、この時、”書こう”というやる気の元になっていたものは何か、それはこの現状になってさえ、自分の(ぶっちゃけ既存の研究と全く差の見出せない)研究の価値だった。当然、大した価値も(自分自身でさえ)見出せないのだからやる気なんて無い。つまり、書く気力自体無かった。けれど、寝るわけにもいかない、なんとかしなくてはと考えるから、起きてはいる、でも書く気は無いから、思考はうまくいかなかった時の事を考え出していた。
では、そんな頭でなぜパラダイムシフトが起きたのか。これは、丁度同じ日、博士論文の提出日だった為、必死に論文の手直しをしている先輩方を見ていた事がきっかけだった。きっかけといっても大層な話じゃない、前に先輩の一人が、「やる気のある無しは関係ない、やるしかないと思うことにしてる」という話をしているのを思い出したからだった。つまり、研究そのものにやる気の根源を求めていなかったということからパラダイムシフトは起きた。(何かパラダイムシフトなんて大げさに言うのは恥ずかしいなぁ)
研究そのものにやる気を求めるのでは無く、その先にあるものを目指しているからやる気がでてくるのではないだろうかと考えた。上のエントリにある、「今の頑張りは必ず報われる」というのと同じ考えだと思う。
こうして概要を書く事の先に、もしくは書く事自体にやる気を見出すことで、狭まった視界は広げ、無事シフトできた。のではないかと思う。
修論の先にある「修了」の二文字を渇望し、絶対できる!必ず報われる!と前向きに頑張る。それだけで十分だ。
もちろん、研究の価値を考えることは重要だが、バランスの問題だと思う。研究の背景として納得いくものができれば問題ないだろう。
JavaとXMLの関係の話は、以前@ITの記事に対する反応で書かれていたと思う。昔の日記でリンクを貼ったはずだけど、今は調べる気があまり無い。
Pythonにおける静的型の話は、静的型の変数が必要なほど大きなプログラムを書いていないのでなんとも言えない。