人が少なそうな時間帯ということで朝イチで観た。
映画の全体的な感想とか、位置づけみたいな話はたくさんわかりやすい話(↓)があったので置いておいて
あと、映画の前に twitter で見た考察サイトがとても面白く、そして合っていたおかげで、要らないところでひっかからず話に集中できた。
観ている最中からずっと、この映画で終わらせるという感じがずっとあったけど、今までの色んなラストを回収して、旧劇までの突き放したラストだったのも良い方向に向けてほんとうにこの映画で終わらせ「落とし前をつけた」話だった。といっても自分は TV 版も旧劇もリアルタイムで観ていなかったけども (周りの熱い勢いにドン引きして、結局観たのは 6 年ぐらい経ってから)。
映画の作りとしては、解釈の余地を残さないほどわかりやすくして、メッセージをダイレクトに伝えてきているんだなと感じた。下記のような点が特にそう感じた。
南極行ってからはゲンドウが話の中心で、成長したシンジがゲンドウを導く形になると、急に人の親としての親近感がゲンドウに出来てしまい、目的の為に自らの子供を疎ましくさえ思ってしまう心情に共感をして辛い気持ちになったりした。けれど、過ちに気づいて子供のシンジを抱きしめて電車を降りた (そしてシンジは何も言わなかった) のを観て、救われて良かったという気持ちになれた。この映画では「なぜこんな事を...」という後悔は否定していて、ゲンドウについてもシンジの中のユイにあった上で進む道を決めたんだと期待できる。(あの後、漫画版の世界線に行けたんだろうな、と勝手に思っている)
親であるゲンドウもミサトさんもいなくなった世界だけど、成長した彼らにはもう不要、という強制的な親離れのイメージだったのかしら。子供の成長・気持ちをいつも見誤る親、というのは耳の痛い話でもある。
「これからを生きてくれ」というメッセージはまぁもう子供もいる身としては、「言われなくても」という気分だけど、色んなセットの上で戦う初号機と第13号機のシーンを観て、虚構の中で人生の息抜きもしたいぬ...、と思ったりした。
駅でゲンドウが振り返って小さいシンジを抱きしめたり、アスカの回想の中で憤るシンジに慌てるゲンドウを見て、家に帰って早く子供を抱っこしたい、と思いながら帰路についた (観た後、「子供を抱きしめたくなった」と twitter に書こうとしたけど、これさえネタバレになるな...と思って自重した)。なお、子供が風邪引いてぐったりしていたので、夜ずっと横にいることになったけども。
シン・エヴァ劇場版を観終わって、過去から解脱していく人たちを見て、未だに「ガンダム・センチネル」の呪縛からは自分は解脱出来てないなとぐんにょりした。