これって中学校が舞台なのかよ!どこの中学生が「セックス以外で汗流したくない」とか言い出すんやねん!主人公二人の血のつながりに対する葛藤も唐突だったり、あまり共感できなかったりでなんだかなぁって感じ。
そんな声だしちゃイヤ同様文句の多い感想でごめんなさい。しかしなぁ、このところかまわずエロエロしようとするのはどうなんだか...。あー、でも男対男の絡みより女対女の絡みが見てておもしろいかな、やっぱりその辺はさすがに少女漫画という感じかと思います。男対男にリアリティを求めるのを止めると普通に読めるかも。
ハルウララのニュースを見ている中で武豊騎手がハルウララに騎乗するというニュースについてうんざりしている事を書いていました(2004年3月8日の日記)。これだけじゃなく、陸上長距離の高橋尚子選手が五輪出場できなかったというニュースもつい先日ありました。
この二つのニュースを見ていて感じたのは、マスコミ(ここでは社会一般=マスコミとしています)の目が向いているのは 本来のファンや、専門とする人達とは全然違うところなんだなぁと思いました。まぁ他にも野球の新庄や相撲の高見盛にも言えることなので別に今にはじまった事ではないのですけどね。
ハルウララと武豊騎手の件では、武騎手も日記で書いてあるように、負け続けてる馬が注目されるという理解しがたい現象が起きていましたし、陸上の高橋選手の件にしても、高橋選手残念なんて書かれたら選ばれた選手の立つ瀬がないじゃないか、なのに陸連ですら走っていない高橋選手を擁護するような発言をするのだろうか、それとも全然走っていない選手でも大丈夫なものなの?陸上って。これもマスコミは軒並み高橋選手についてばかり取り上げていた。
なんで、こういう話をしたかというと、自分が好きな領域、例えばアニメ・漫画やコンピュータ関係ってのは昔から社会一般から、自分たち(専門とする人達、当事者)が期待するところを見られず、全然期待しないところを見られるという状況だったからわけです。上で挙げた例というのはそういう構図を別の領域を例にしてよく表してくれているわけです。
このお互いの見ているところの行き違いが良い悪いというわけではないんですが、少なくとも幸せな状況ではないでしょう。では完璧にお互いの見ているところを一致させるのは可能かというと、これはもちろん不可能なわけですよね、元々求めるモノが違うんですから。んじゃ、どうするかっていうと、まずやるべきはお互いが見ているところが違う事をお互いが認識する事なんじゃないでしょうか、いわゆるわかりあうということです。まぁ、解決策については特に考えてたわけじゃないのでこれで終わり。単に”あぁ武豊の今いる状況って自分たちと同じだなぁ”と思っただけの話でした。