今の自分に最も足りていないのは、やる気のあるなしではなく、時間をどう使うかとモチベーションの上げ方といった手法の部分です。
正直、今まで自分は、心の内からの衝動だけでやってこれました、それだけでサーバ構築管理、システム開発等々、情報系の学生としてはお手本的なことをやってこれたと考えています。しかし、大学4年になると問題点が一気に露呈しました(正確にはその前から片鱗は見えていましたが)。それは、卒業研究に対する取り組み方です。ゼミをサボる(というより準備をしない)、やる気が起こらないから計画も立てずだらだらと過ごしてしまう、...といったことです。この時の感覚が未だに自分を支配している状況で正直辛いです。
おかげで、今でもそんな状態で研究室の人々に本当に迷惑を掛けてしまっている状況です。こう当然の事ができない自分が嫌で、嫌と思いながらそれを治せない自分がさらに嫌で、その上他の人に迷惑を掛けていると考えるとさらに...、ほんとうにどうにかしたい、けど時間が無い、焦る、また失敗する、そんな蟻地獄から抜け出せずにいます。
大学院には当初、研究職を目指すために入学しました、モチベーションは高かったと思っています。研究分野について、今までやったことの無い分野を選ぶために他の大学の大学院を受けました。研究っていうのは自分自身の好奇心だけでいくらでもやっていけると、そう思って大学院には来ました。
しかしながら、大学での研究ではそれだけではやっていけません。自分の研究を認めさせるための、説明するための能力、困難を達成する能力、等が必要となってきます。
自分だけでは無いと思いますが、これらで要求される処理というのは非常に面倒くさい、しかも研究をする上で超えなければいけない壁であるにもかかわらず、研究に対する意欲をガリガリ削っていくとてもやっかいなものだと思います。やりたくないけど、やらざるをえない、対外的な発表、ゼミでの発表、もちろんそれらを目標として計画を立てて研究をしていくのが当たり前なのですが、それが自分にとってとても難しいことになっています。
おかげで研究室ではオオカミ少年やってます、何度もゼミ欠席したりしてるし、自分からやると言っておいてやらなかったり。そして自己嫌悪のスパイラルに入っていくんです。
そして、こういう状況になってくると、当初、やる気の元となっていた研究に対する動機が足枷になってきます。足枷になるというより、負の感情に引きずられて自分を責めたり、もしくは自分を正当化するための道具になって、現実を見なくなる原因になってしまいます。こうして怠惰の元凶と化した志望動機によってさらに研究活動から自らを引き離してしまう結果になってしまいます。
どうにかしないと、どうにかしないと、...そんな言葉しか頭にない状態はほんとに嫌です。よく、「今の苦労は将来良い思い出になる」とは言いますが、これは”後”だから言える話で、誰も苦労したくて苦労してるわけじゃない、今の困難から抜け出したくて苦労してるわけですし、”後”になって、その時よりよくなれば、良い思い出として持つ事はできますが、そうできなければ絶対に悪い思い出にしかできません。そして、そうなることが怖いから早く抜け出たい、回避したいと思うのが今の気持ちです。けど、焦れば焦るほど全く進めない、それはわかってるけど道を変えるのはもっと怖い、今までの自分を全否定してしまいそうだから、かといって今のままでは解決できない、...というスパイラルです。